ウオッチメン

と、いうわけで観てきました。

一言で言ってしまうと、面白かった!! これに尽きます(笑)。
ネタバレありの細かいところは後に回します。

原作と映画の大まかな話は、
「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」の特集や町山智浩さんのポッドキャストを聴くのが手っ取り早いかと。

タマフル
本放送。高橋ヨシキさんと。
http://podcast.tbsradio.jp/utamaru/files/20090314_satlab.mp3
ポッドキャスト(前後編)でも話されています。これも高橋ヨシキさんと。
http://podcast.tbsradio.jp/utamaru/files/20090314_podcast_1.mp3
http://podcast.tbsradio.jp/utamaru/files/20090314_podcast_2.mp3

町山さん。
http://www.enterjam.com/tokuden/tokuden077.mp3

以下、ヒーローのキャラクター造型について、雑感を覚書。

○コメディアン
キャプテン・アメリカバットマンのジョーカーの属性を陰陽の如く併せ持ったキャラクター。
残虐性や暴力性といった表出する暗愚な面は、内に秘めた聡明さの裏返し。
聡明であるがゆえに純真で、直情的で後先を考えない。
そして、聡明であるがゆえに己の能力の限界を見極めることができてしまい、自分には人間の持つ根元的な問題の解決ができないことを悟ってしまう。
「憂き世の憂さの全てを、冗談という薪にして火に焼べてしまおう」

ロールシャッハ
本人は人格が分裂したような発言をしているが、マスクに表れているようにはっきりと分かたれた黒白が有為転変のように目まぐるしく変化するところが本質。
これも陰陽であり、だからこそ同じく黒白の間で揺れるコメディアンに惹かれたのだろう。
「どこにもいない自己そのものが、つまりは自分自身なのだ」

○DR.マンハッタン
能力はスーパーマンに近いが、存在そのものが東西のミリタリーバランスを歪めている。
超越者という面ではオジマンディアスと共通しているが、存在としてはもはや人間ではなく物質そのものや現象に近しい。
超人性(神性といってもいい)と、わずかに残っている人間性の間で揺れ動く。
いつどこにでもいるからこそ自分を見失っている点は、一見ロールシャッハとは逆のようだが本質は同じ。
不確定性原理の体現者」

○二代目ナイトオウル
普通の人間が私財を投じてヒーローになった、いわゆるバットマンタイプ。ミドルエイジクライシスを象徴している。
高く飛ぼうとする上昇の欲求が人一倍あるが、常人であるために常識に囚われ、地面をうろつくことしかできなくなっている。
喪失した自信を取り戻すまでの過程が彼の物語。
イカロスは再び飛翔する」

○二代目シルクスペクター
一見するとわかりづらいが、この物語において非常に重要な役割を担っている。
企画段階では全くの無属性だったらしく、そのため様々なしわ寄せを受けて成立したのだろう。
セックスシンボルであり、ヒーローという形式的なルーツの継承者であるとともに遺伝的なルーツを求める子どもであり、異なる感性に懊悩する恋人の片割れであり、受容者であり、諭す者であり、許す者でもある。
これだけ様々な役割を負わされながら、女神のような慈愛の象徴となっていない。
「あくまで人間の女で在る事こそが、彼女の存在意義なのだ」

○オジマンディアス
人類の頂点。「人間」ができ得ることの範疇において万能。
聡明さの象徴であり、その点ではコメディアンと共通するが、万能であるがゆえにコメディアンよりも聡明さを突き詰めることになる。
ヴィランという闇が存在しなくなった世代だからこそ、自らが放つ光を止められなくなってしまったのかもしれない。
ラストで悪役になることを選択しなかったところが、唯一垣間見れる人間性
「我が偉業は、神には誇れども、人には知らされざるべきものなり」

○ミニッツメン
映画では、旧世代(ミニッツメン)の話は初代シルクスペクターとコメディアンの云々以外はほとんどからんで来ません。
初代ナイトオウルは序盤しか出てこないし、キャプテン・メトロポリスはオロオロしません(笑)。
その代わりに、冒頭で原作では描かれなかった活躍や散り様が流れます。
モスマン! とにかくモスマン!!





この先、ネタバレを含みます。









映画を観ての細かい感想。
完璧に原作の世界を描いている。完璧過ぎるほどかもしれない。
中でも、エクスタシーとともに「アーチー」から炎が放射されるシーンは、原作・映画ともに声を出して笑ってしまった。
ただ、三時間という長尺でも描ききることができず、オミットした点は色々とある。
ミニッツメン関連のちょっとしたエピソードもそうだが、ヒーロー以外の登場人物の話はほぼ丸ごと抜かれている(登場するにはするが、最小限になっている)。作中作も全く出なかった。

原作からの変更点(修正点)も少しあった。
特にDR.マンハッタン周辺に多く、甘かった量子力学的なディテールが補完されていた。
原作では遺伝子工学と超能力の合わせ技だった最後の大仕掛けも……。
あとは局部の描写(笑)。「イースタン・プロミス」でも思ったが、ああ、ここまで見せていいのだなあ。

このような感じで原作との相違はあるが決して改悪ではなく、むしろ映画作品としての完成度を上げている。
指摘するとしたら、だからこそ原作の持っていた「完成度の中の綻び(??宇多丸師匠)」がないという点か。
例えば、他のヒーローに比べてフーデッド・ジャスティスの描写が少なく、間接的で断片的な情報を繋ぎ合わせても明瞭にならない。だからこそ想像の余地が生まれるといった点(これは映画でも同様の描かれ方だった。ただし、他のミニッツメンのエピソードも減ったため、飛び抜けての謎ではなくなっている)。
映画の美しさは球(もしくは円)で、原作はプロミネンスを放つ太陽と表現できるかもしれない。

あ、暴力描写の生々しさは二割増し(苦笑)。
そこまでやらなくても、と悪漢に同情してしまいました。

配役については、概ね原作のイメージ通りでした。
コバックスがもっとヘチャむくれだったら良かったかな、でもこれはこれでありか。
とか、
二代目シルクスペクターは絶世の美女ではないが、そこがむしろ魅力的で素敵だ。原作を超えてるかも。
とか、違和感はそんな程度。


いやでも、これは観るべき映画。

個人的にもぐっときた。
この一年は、働き先である(といってもバイト)公立中学が荒れていくのを傍観するだけでしたが、時空を超越してしまったために傍観者となったDR.マンハッタンの心境に近いものなんだろうなあ(僕は何も超越できてませんが)。
基本は二代目ナイトオウル(見た目もあんな感じ)ですが、ロールシャッハやコメディアンも僕の中にいるし、昔はオジマンディアスみたいなことも考えた。新旧シルクスペクターの気持ちもわかる。


色々な人にウォッチメンに触れてもらいたい。
できれば、いや是非、原作も合わせて楽しんでもらいたい。